恥の正体

雑記記事

皆様は恥をかいたことはありますか?

生きていれば誰しも1度や2度は穴があったら入りたいと思う状況に陥った事があるかと思います。

私は今までに穴があったら埋めて欲しいと思った事が数知れず・・・。

今回、私は中川諒さん「いくつになっても恥をかける人になる」という本を読みました。

この本から私が得た「恥」について紹介します。

大勢の前で間違えた事を言う、後輩に分からないことを聞く、服が裏表が逆だった、知り合いかと思って声をかけたら全然違う人だった、秘密にしていたことがバレたなど。

実際にこれらの事が起こった場合、相当恥ずかしい思いをするかと思います。

そもそも恥というのは?なぜ上記の現象が起きた時に恥ずかしいという心理現象が起きるのでしょうか。

それは、理想の自分と現実の自分のギャップです。

良いように見られたい。完璧な自分でありたいと思うほど不完全な自分に恥という感情を感じるわけです。

恥には外的恥と内的恥があると本に書かれています。「こう見られたい」という理想から外れた時に感じる恥の場合は外的恥、「自分はこうあるべき」という自分の美学から外れた時に感じる恥は内的恥だそうです。

Koba-yuu
Koba-yuu

私は比較的、周りの目を気にする事が多いので外的恥が多いのではと考えています。

学生の頃の私は、変化することは恥ずかしい事だと思っていました。

しかし、今では変化できなければ成長が止まり、生き残ることができないと思うようになりました。

ただ、変化するのはやはり恥ずかしい部分もあります。「○○さん変わったね。」と言われると恥ずかしいものです。

恥は人によって異なります。奇抜な格好をしてもそれを恥ずかしいと思う人と思わない人がいますね。また、身内にに「いい歳して、そんな事は外でしないで。見てるこっちが恥ずかしい」と言われることもあります。

今までそれが恥だと感じなかったことが人に指摘されて初めてそれが恥ずかしい事であると認知することがあります。

私も実際に、両親に缶切りの使い方を知らないと言ったところ「社会に出て恥ずかしい思いをするよ」と言われましたが、「知らないものは知らないし、使う機会があれば使い方を聞けばいいし、知ったかぶりする方がよほど恥ずかしいのでは?」と思いました。

本書を通じ私は、恥は試練であり恥を超えた先にチャンスがあると考えるようになりました。

何かを始めるにも何かしら恥をかくことがあるかと思います。恥を乗り越えられなければ見えない景色があります。

私がこうしてブログを執筆しているのも一種の恥です。画面の向こうでどう思われているのか不安です。文章力がない。文章が間違っているなどと実際に思われていたら、かなり恥ずかしいです。

しかし、実際に恥を乗り越えてみると大した事がなかったと思えることがほとんどです。

何より、恥を曝け出せる人は応援されやすいですね。

私はYouTubeをよく視聴しますが、恥ずかしい部分を動画にして公開しているYouTuberさんはとても面白く親しみやすく、応援したいと思います。

私も開示できる部分は極力、オープンにしていきます。

私は今後、選択に迷ったら恥ずかしい方を選択します。

本書の第5章の今すぐ実践できる恥のかき方50を参考に実践していきます。

そして、この本の最後に[お願い]があり恥を忍んで本書の感想をSNSに投稿して欲しいという内容です。恥についての記事を書こうか悩みましたが、あえて恥をかこうと思い記事を書きTwitterにも投稿をしました。

中川諒さん「いくつになっても恥をかける人になる」は私のおすすめの1冊です。

恥をかいていつまでも成長できる人でありたいですね。

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